備前刀について
弥生時代の刀は生活の道具としてのものであった。それは炊事に使うときは包丁であり、薪を割る道具であり、外へ出るときには藪を切り開いて道を造るものであり、生活にはなくてはならない必需品であった。
それが古墳時代には三種の神器(刀、勾玉、鏡)といわれるように権力の象徴となった。それにつれて剣には装飾が施され切れ味は二の次できらびやかに金銀宝石で装飾されたものとなった。
平安時代には、それまでの直刀であったものがワン刀となり断面もくさび形から鎬作(しのぎづくり)りとなり武士の台頭と相まって武器としての刀、切れ味の良い、しかも折れにくく、しかも見た目に非常に美しいものへと変化して日本刀としての原型がほぼできあがった。
備前刀は五ヶ伝の内で最も優秀といわれていますが、それは砂鉄の中でボロ砂鉄といわれている赤目鉄(不純物の多く混ざった砂鉄)を使っているところに起因しています。
日本刀の製造工程の中で砂鉄から鉄の固まりをつくりこれを半分づつ折っては打ち、折っては打つことを15回繰り返して刀のもとをこしらえますがこうすると、1本の刀がなんと32700枚の鉄の層の重なりとなるのです。これが赤目鉄でないと、純粋な真砂鉄では粘りがなくなりボロボロになってしまうのです。
備前刀は他の日本刀と比べて、他の日本刀と同様にただ美しいだけでなく、非常に折れにくい性質を持った非常に優秀な日本刀だったのです。
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