旅の思いで
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1996年家族スキー旅行の思いで
(12月27日から1月3日まで)
構成人員  私(当時55歳)
        長男23歳・次男21歳・三男18歳
        (妻は一人お留守番です。)
行ったところ カナダウイスラースキー場


スキーグッズ項目1
  確か2日目のことだったと思うが、ウイスラーゴンドラで上がったところで、初心者コースを滑っていて何回目かのリフト待ちで並んでいると小学生の男の子がすみませんと日本語で断って一緒に上がらせて下さいと割り込んでくる。

 聴いてみるとこちらへは両親と一緒に来ているそうですが、両親は自由に滑りたいため子供を一人でスキースクールに入らせたらしい。
 勿論、スキースクールの先生も生徒もほとんどがカナダ人で日本人はその子一人だけだそうで、先生が気を利かせ、たまたま我々の日本人グループをリフト待ちの際見つけリフトで上がる間だけでも一緒に上がってきなさいと言ったのではないかと思う。

 子供も久しぶりの日本語が喋れると良く喋ってくれた。私たちは特別金持ちでもないのですがたまたま私がそういう趣味を(海外でスキーをしたい)持っていたので子供たちも初めてでしたが思い切って出かけてきたのですが、自分のことはさておいて、その子供に”ボクは海外スキーは初めて?”と聴きますとなんと毎年来ているとのことで”ボクのところはよほどお金持ちなんだね”と再度聴いてその答えにまたまたびっくりしました。

”ボクのところは別にお金持ちではないと思う。”子供のことですから家の経済のことは分からないと思いますが

その後の返事で納得がいきました。
 ”ボクのうちのアパートの部屋には大きな家具はなにもありません。両親はとにかくお金が貯まったら海外へスキーに行く。”のだそうです。

 人それぞれの人生があるとは思っていましたがこうも
自分のしたいことを実践しているひとがいるとはと感心いたしました。


スキーグッズ項目2
 ウイスラーの街は自動車をシャットアウトしているので散歩をするのに全然車を気にしなくてよいのでのんびりと散歩できます、たまたまウインドショッピングをしていてスキー靴を売っている店があり、興味を引きました。

 それは日本ではスキー店というとメーカー、サイズ等出来るだけたくさんの陳列をし、いかに品揃えが豊富かをを全面に打ち出した陳列の仕方ですが、こちらでは靴の陳列はメーカー別に数種類がしかも片方だけ陳列されているだけです。

 中で靴を買う人たちが数人いましたが靴を履いて雑談をしているように見受けられました。
 後で聞いた話ですが、客は店に靴を買いに行き、自分の好きなメーカーのモデルを指定すればその人に合うサイズの靴をバックヤードから探してきてインナーの調節、あるいはシェルの拡張とかを時間をかけて行いその人にあうようにしてくれるとのことです。

 日本でもつい最近には、かのラングでさえもそれぞれの人に会うように調節してくれるようになりましたが、ほんの数年前までは昔の軍隊ではないですが、私はスキー靴は足を靴に合わすものだと思っていました。

 35年の間に7足ほどスキー靴を換えましたが昨年買った靴がスポーツ店でとことん合わせてくれてそのサービスの良さにびっくりし、やっと自分にあったスキー靴を買うことが出来ました。


 スキーグッズ 項目3
 12月31日の晩は広場で新年を迎えるカウントダウンがあると言うことで、早めに食事を済ませ広場へ行ってみる。

 もう既にウイスラーの街の人が全て集まったのではないかと思われるぐらいの人だかりで、2カ所の広場に分かれて片方では女性のボーカルがバンドをバックに3時間ほど歌い続けています。

 もう1方では奇術、コント、パントマイムが演じられていました。時間までは両方を行ったり来たりして時間をつぶしました。

 12時前には歌の方の舞台だけがのこり、いよいよこちらで女性ボーカルの音頭でカウントダウンが始まり、0時の瞬間には照明が一瞬消され次の瞬間”happy new year"の大歓声と共に照明がともされあちこちから”happy new year”の声が聞こえそれが大合唱となりしばらくの間続きました。

 翌日はバンクバーへ移動の日でしたが余韻を残して早めに切り上げました。
 子供たちの感想ではスキーよりも又スノーモービルへも行きましたが、この新年を祝うカウントダウンが一番印象が残ったそうです。

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