アメリカ流通研修視察旅行
 1988年6月14日から6月23日まで
目次へ帰る 15日へ  トップページへ
6月14日 伊丹空港から成田空港を経てサンフランシスコへ。

 伊丹の大阪空港に到着したのは集合時間の午後1時の1時間前の12時丁度であった。
平日の昼というのに大阪空港はたくさんの人出でごった返していた。
とりあえず昼飯を取ることにして近くのコーヒースタンドでカレーライスを食べることにする。
隣には肌が真っ黒な青年、向かいには東南アジア系の二人連れ等様々な人種がそこここにたむろしてここはもう外国のようである。
 集合場所の団体受付場所にいってみるともう既に15、6人が集まっていてすでに受付が始まっていた。直ちに受付を済ませスーツケースを預けるとやっと身軽になれ重く、かさばるスーツケースから開放されほっとする。
 その後2階の星の間で出席者の紹介、出国手続き等の説明を受けた後、いよいよゲートを通って出国する。搭乗まで1時間ほど余裕があり免税店にてウイスキー、香水等を見る。
 大阪空港発15時5分発日本航空52便にて空路成田へ、初めてのジャンボボーイング747でその大きさには圧倒される。
天気が非常に良く途中富士山も眼下にみる飛行で空を飛ぶ恐怖はまったくといってなかった。
 成田空港へは16時20分着。
ここでも出国まで2時間近くあり、免税店のショッピングやコーヒーショップでの軽食で時間をつぶす。

 サンフランシスコへは18時丁度発の日本航空2便にてアメリカへ出発。
400人以上の定員いっぱいの乗客を乗せての出発であったが軽々と飛び立ちその力強さはまったく驚異であった。間もなく夜の食事がでて明日からのアメリカ旅行に思いを馳せて眠りにつく。

  ・・・・・・・・・・・ 国際日付変更線通過 ・・・・・・・・・・・

 明ければアメリカ時間の6月14日午前8時とはいっても日本時間では夜中の12時。あと2時間でサンフランシスコ国際空港着とのアナウンスがあったのち欲しくもない朝食が無理矢理でてくる。外を見るとすっかり夜が明けた太平洋の上をジャンボジェット機は快調に飛行を続けていた。

 到着は若干遅れて午前11時サンフランシスコ国際空港着。
ここサンフランシスコはロサンジェルスとともにアメリカの西の玄関口のため東南アジアからの入国が多いため入国審査に非常に手間取る。
 専用バスにていよいよアメリカ流通研修の始まりです。


ビレッジショッピングセンター

 まず最初はビレッジショッピングセンターでキーテナントとしてメイシーズとノードストロームのデパートと他に専門店、ファーストフードが入っている。
 ここでは必要な商品でなくて、無くても生きていける欲しい商品を販売また比較的高い層にターゲットを絞っている。
 以前はあらゆるニーズに応じていたが現在ではターゲットを絞って特定の層を対象として店舗づくりないし商品開発を行う。
 設計はサンディエゴのホートンプラザの設計者と同じで各戸が独立したオープンスペースの作りになっている。


セーフウエイ(コートマデラ店)

 次にセーフウエイの旧来型コートマデラ店を見る。
陳列数量にはその数量の多さに圧倒されるが特に目新しい物はない。
 デイスカウントストアーとのコンビネーション型である。

ボナペティ

 ダウンタウンのボナペティを見る。
ここはセーフウエイが自己革新を成し遂げる変革の最初のステップとなった当初の最新実験店であった。 
グルメ食材を販売、ワインとチーズの品揃えがすごい。


 ホテル内レストランにて夕食

サンフランシスコ泊 14,15日2日間
 宿泊ホテル 
 SHERATON−PALACE HOTEL
住所
2 New Montgomery St.,San Francisco,CA 94105
電話 (415) 512-1111

目次へ帰る 15日へ トップページへ